軽井沢で育った私がナビゲート!R55世代のための「頑張らない」二拠点ライフ
旧軽銀座とあたし
── 軽井沢・南青山・上越を行き来する、わたしの原点
1970年7月生まれのあたしは、
旧軽銀座の奥にあった祖母の別荘のおかげで、
生まれた直後から「夏は軽井沢で避暑」が当たり前の生活でした。
当時はまだアウトレットなんてなくて、
旧軽銀座も静かににぎわっていた時代。
神社のお祭りには偉い政治家の方々がふつうに現れて、
テニスコートでは上皇さまたちが華麗にラリーをしていて。
私たち一般ピープルは、それを何気なく眺めていた――そんな空気が残っていた頃です。
「二拠点生活って大変でしょ?」
よく聞かれますが、父の店が軽井沢ベルコモンズにあったので、
夏は軽井沢で蝶々を追いかけ、自転車を乗り回して、
旧軽銀座は、あたしにとって“庭”にしていたのが原体験。
ミカドのモカソフト、レガランのケーキ、榮林でのディナー。
サンジェルマン、フレスガッセ……
あたしの想い出は、軽井沢駅北側にぎゅっと詰まっています。
「稲場さんちのお嬢さん」というレッテルがちょっと苦手だったけど、
ベルコモンズの入口で、小学生の頃からワゴンセールの手伝いをしていたのも、
今ではいい思い出です。
いま、わたしは南青山と上越を行ったり来たりしながら暮らしています。
違和感がまったくないのは、
きっと小学校時代の「夏は軽井沢で暮らす」という経験が、
すでに心と身体に染みついているからなのかもしれません。
軽井沢の魅力って、いま思い返しても「満点の星空」。
都会の“眠らない街”に慣れてしまうと、
空一面に広がる天の川を見た時の衝撃は、何度見ても心に沁みます。
あなたは、“広い空”や“満点の星空”の豊かさをご存じでしょうか?
地球温暖化や異常気象が進む今、
お金を出せば手に入るものよりも、
お金では買えない自然をどう守るかが大切な時代に入ってきました。
わたしは軽井沢で、「何もない豊かさ」を知りました。
その感覚を持ったまま、大人になったあたしが、
今、上越という“ちょっと知られていない場所で半分暮らしています。
最近では、山手線内側でマンションを買うのに2億円というのが当たり前の時代。
そんな中で、都会を離れて自然と共に過ごす生活を選ぶR55世代の方が、
少しずつ増えてきていると感じます。
「親のそばに帰ろう」と思っても、
親御さんが元気なうちでなければ選択肢は限られます。
介護や認知症になってからではなく、
今このタイミングで、暮らし方や親との関係性を見直すのが大切。
いっぽうで、あたしのように家族と疎遠だったり、
頼れる人がいない方も少なくありません。
そんな方にとっては、ゆるやかにつながれる地域や人との関係が、
“これから”の暮らしの安心につながると信じています。
人は、自分らしく生きて、自分らしく幕を閉じるために、
必ず誰かの力が必要です。
だからこそ、あたしは不動産と相続の仕事をしています。
家や土地のことだけでなく、
「どこで、誰と、どう生きるか」という問いを、
一緒に考えられるパートナーでありたいと思っています。
🌱 軽井沢で育ち、南青山と上越を行き来して暮らすあたしだからこそ、
あなたに寄り添えることがあるかもしれません。
まずは、お茶でも飲みながら、
あなたのこれからの人生について、ゆっくりお話を聞かせてくださいね。
軽井沢で育った私がナビゲート!R55世代のための「頑張らない」二拠点ライフ



